世界的建築家・丹下健三が設計した香川県の名建築「旧香川県立体育館」。通称「船の体育館」と呼ばれるこの建物を巡って、現在、驚くべき事態が進行している。
県が10億円をかけて解体しようとしているこの建物に対し、民間から30-60億円規模の資金による買い取り・再生提案が出されているにも関わらず、香川県の池田豊人知事は頑なに解体を進めようとしているのだ。
しかも、解体設計の入札では20社中18社が辞退という異常事態が発生。この90%という辞退率は、通常の公共工事では考えられない数字である。
一体、この問題の裏には何があるのだろうか。
統計的にありえない90%の入札辞退
最も異常なのは、解体設計業務の入札における辞退率の高さだ。
第1回入札(2023年5月)
- 指名業者:12社
- 辞退:11社(辞退率91.7%)
- 応札:1社のみ → 不調
第2回入札(2023年6月)
- 指名業者:8社(業者を入れ替え)
- 辞退:7社(辞退率87.5%)
- 応札:1社のみ → 再び不調
合計:20社中18社が辞退(辞退率90%)
最終的に県は随意契約で地元の森勝一建築事務所(契約金額4455万円)と契約を結んだが、この異常な辞退率は何を意味しているのだろうか。
建築業界関係者は「文化的価値の高い丹下建築の解体に関わりたくない」「社会的批判を恐れた」と分析している。つまり、業界全体が県の解体方針に対して無言の抗議を示したのである。
経済合理性を無視した不可解な判断
さらに不可解なのは、経済的に見て明らかに有利な民間提案を県が拒否していることだ。
県の解体案
- 解体費用:約10億円(県負担)
- 跡地:売却益は限定的
- 建物:永久に失われる
民間再生案
- 初期投資:30-60億円(民間負担)
- 県の負担:ゼロ円
- 売却益:県にプラス
- 建物:保存される
どう考えても民間案の方が県にとって有利であるにも関わらず、池田知事は「安全確保のためには、予定通りの解体をすることが一番望ましい」として、協議すら拒否している。
民間再生委員会の調査では、県民の73%が「県は協議に応じるべき」と回答しているが、知事は民意も無視している状況だ。
元建設官僚知事の背景
この不可解な判断を理解するには、池田豊人知事の経歴を見る必要がある。
池田知事は東京大学工学部土木工学科出身で、1986年に建設省(現国土交通省)に入省。36年間の官僚生活を経て、2018年から国土交通省道路局長を務めた建設行政の中枢にいた人物である。
つまり、建設業界との密接な関係を長年にわたって築いてきた背景がある。このような経歴の人物が、なぜ経済合理性に反する判断を下しているのか。
考えられる理由:
- 既得権益の維持:解体工事という「確実な発注案件」を業界に提供したい
- 官僚的硬直性:一度決めた方針を変更することへの抵抗
- 政治的面子:前任者が決めた方針を覆すリスク回避
透明性の欠如:隠蔽された海外からの嘆願
県の姿勢の問題を象徴するのが、海外からの嘆願書への対応である。
2025年4月、ハーバード大学大学院デザイン学部から学部長以下24人の教員連名で解体再考を求める嘆願書が届いた。しかし県は:
- 報道発表を行わず
- ホームページでは大学名を伏せて掲載
- 嘆願書の内容も非公開
「この手紙を公表していただいて結構です」と明記されていたにも関わらず、県は意図的に情報を隠蔽した。
世界的な建築学の権威からの要請すら軽視する姿勢は、県の判断が合理性よりも別の要因に基づいていることを示唆している。
建築業界からの「無言の抗議」
90%という異常な入札辞退率は、建築業界からの明確なメッセージと読める。
建築関係者が解体業務を避ける理由:
文化的価値への敬意
丹下健三作品という文化的価値への敬意
社会的批判への懸念
将来的な社会的批判への懸念
政治的リスク回避
保存運動が活発な中での政治的リスク回避
職業的良心
職業的良心からの判断
香川県営繕課は辞退理由について「金額や業者の忙しさ、建物の文化的価値などさまざまな要因が考えられるが、特定はできていない」と曖昧な回答をしているが、これだけ多数の業者が辞退するのは明らかに異常である。
本当の理由は何なのか
では、なぜ池田知事は合理的でない判断を続けるのか。考えられる「真の理由」を検証してみよう。
1. 建設業界への配慮
元建設官僚として、解体工事という発注機会を業界に提供したい思惑があるのかもしれない。実際、建設時の施工は大手の清水建設が担当しており、解体工事も同様の規模の業者が受注する可能性が高い。
2. 官僚的前例主義
官僚出身者特有の「一度決めた方針は変更しない」という硬直的な思考パターン。民間提案の検討には時間と労力がかかるため、既定路線を維持したい。
3. 政治的リスク回避
民間案を採用して失敗した場合の政治的責任を恐れている。解体なら「安全のため」という大義名分が立つが、保存・再生は結果責任を問われるリスクがある。
4. 利権構造の維持
長年の官僚経験で築いた建設業界との関係性を維持したい。民間主導の事業では、既存の関係性を活用できない。
民意との乖離が示すもの
興味深いのは、民間再生委員会の調査結果である:
香川県民の回答
全国の回答
県民の73%、全国では65%が「協議に応じるべき」と回答している。これだけの民意があるにも関わらず、知事が協議を拒否するのは、民主的プロセスの観点からも問題がある。
失われる機会
この問題で最も残念なのは、Win-Winの解決策が目の前にあるにも関わらず、それが活かされないことだ。
民間再生案が実現すれば:
10億円の支出なし+売却益
歴史的価値が保存される
観光資源として活用
収益事業として成立
すべての関係者にメリットがある提案を、行政の都合で潰してしまうのは、公共政策として明らかに間違っている。
今後の展望
現在、解体工事の入札が2025年9月に予定されている。しかし、設計業務で90%の辞退率が出た状況で、実際の解体工事にどれだけの業者が応札するかは疑問である。
もし解体工事でも同様の事態が起これば、県の方針の見直しを迫られる可能性もある。
また、国際的な注目も高まっており、ハーバード大学大学院以外からも保存を求める声が上がっている。文化的価値の高い建築物の保存は、地域だけでなく国際的な関心事でもある。
結論:透明性のある議論を
香川県の「船の体育館」解体問題は、現代日本の行政が抱える構造的問題を象徴している。
- 経済合理性よりも既得権益を優先する判断
- 民意よりも行政の都合を重視する姿勢
- 透明性を欠いた意思決定プロセス
- 文化的価値への理解不足
今求められるのは、すべての選択肢を公正に検討する透明なプロセスである。民間提案の詳細な検証、県民との対話、専門家の意見聴取を経て、真に県民の利益になる選択をすべきだろう。
文化的価値と経済合理性を両立できる提案があるにも関わらず、それを検討すらしないのは、行政としてあまりにも硬直的すぎる。
香川県民、そして日本国民は、この問題を通じて「民主的な意思決定とは何か」を改めて考える機会を得ているのかもしれない。