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歴史的瞬間:初のアメリカ出身教皇レオ14世の誕生、レオ14世ってどんな人?

2025年5月9日

2025年5月8日、バチカンのシスティーナ礼拝堂で行われた秘密選挙「コンクラーベ」において、米国出身のロバート・フランシス・プレボスト枢機卿(69)が第267代ローマ教皇に選ばれ、教皇名「レオ14世」を名乗ることが発表されました。これはカトリック史上初となるアメリカ出身教皇の誕生であり、国際的な信仰の多様性と教会の未来像を象徴する歴史的な出来事として世界中の注目を集めています。

前教皇フランシスコの死去に伴い開催されたコンクラーベでは、投票権を持つ80歳未満の枢機卿133人が集まり、4回の投票を経て新教皇が選出されました。コンクラーベ初日は、伝統に従い「黒い煙」が上がり、決定に至らなかったことを示しましたが、2日目の午後、選出の証である「白い煙」がシスティーナ礼拝堂の煙突から立ち上ったとき、サンピエトロ広場に集まった数万人の群衆から歓声が上がりました。バチカン全体が一瞬静寂に包まれた後、サンピエトロ大聖堂の中央バルコニーに姿を現した新教皇は、全世界に向けて初めての祝福「ウルビ・エト・オルビ(ローマと全世界へ)」を捧げました。

人物像と経歴:国境を超えた宣教師

生い立ちと教育

ロバート・フランシス・プレボスト氏は、1955年9月17日にアメリカ・イリノイ州シカゴで誕生しました。フランス・イタリア系の父親とスペイン系の母親の間に生まれ、多文化的な環境で育ちました。幼少期から信仰心の厚い家庭で育ち、10代の頃から司祭になることを考え始めたと言われています。

教育面では、米ペンシルベニア州にあるビラノバ大学で数学の学士号を取得しました。数学への造詣が深く、論理的思考と抽象的概念の理解に長けていることで知られています。大学時代には、カトリック学生会の中心的存在として活動し、貧困地域でのボランティア活動にも積極的に参加していました。

大学卒業後、シカゴ・カトリック神学連合で神学を専攻し、その後ローマのグレゴリアン大学に留学。ここで彼の国際的視野が大きく広がったとされています。1982年4月29日に司祭に叙階された後、聖アウグスチノ修道会に入会し、修道士としての道を歩み始めました。

宣教活動とペルーでの歩み

プレボスト氏の司祭としてのキャリアで最も特筆すべきは、ペルーで約20年間にわたり展開した宣教活動です。1985年から2005年まで、ペルーの貧困地域を中心に原住民共同体や社会的弱者のために司牧活動を行ってきました。特にチクラヨとトルヒーヨの貧困地区では、地域住民と共に生活しながら、教育支援や医療活動、社会正義のための活動に従事しました。

彼はペルーのトルヒーヨで10年間、チクラヨで司教(2014年〜2023年)を務めています。この間、ペルー北部の社会経済的問題に直面し、特に若者の失業問題や環境汚染、先住民の権利擁護などに積極的に取り組みました。彼の活動は単なる宗教的活動にとどまらず、社会変革を目指す幅広いものでした。

また、アウグスチノ修道会の総長も10年以上にわたり務め、ラテンアメリカの現場を熟知する宗教指導者として国際的な評価を得ています。彼の修道会内での指導力は、複雑な国際組織をまとめる能力の証左として、後のバチカンでの役割にも活かされることになります。

バチカンでの役割と国際的活動

2023年には前教皇フランシスコから司教省の長官に任命され、バチカンの中枢にも深く関わってきました。司教省は、世界各地の司教候補の評価や任命推薦を担当する重要な部署であり、教会の人事に大きな影響力を持つ職位です。彼は同時に教皇庁ラテンアメリカ委員会の首長も務め、南米とバチカンの架け橋としての役割も果たしてきました。

司教省長官就任後も、自らを宣教師と考え、宣教活動を天職と語っていた点は注目に値します。彼のキャリアの半分以上はペルーでの宣教活動に費やされており、「ペルーでの人生経験が自分を最も形作った」と折に触れて振り返っています。

プレボスト教皇は、米国とペルーの二重国籍を持っており、ペルー国籍は2015年8月に取得しました。これは彼がペルーに対して持つ深い愛着と献身の証でもあります。言語能力も極めて高く、英語、ラテン語、スペイン語、イタリア語、フランス語、ポルトガル語を流暢に駆使できることから、多様な文化圏との対話に長けています。

バチカンの内部では「最も米国人らしくない」枢機卿と認識されており、ペルーを中心に国際的な教会活動をしてきた人物として評価されています。このユニークな立ち位置が、教皇選出において大きなアドバンテージとなりました。

個人的な側面:知的好奇心と人間味

知的活動家としての一面も持ち合わせており、神学だけでなく、社会学、経済学、環境科学などにも造詣が深いとされています。ペルー・トルヒーヨの神学校では教会法を教え、また現地の大学で社会倫理学の講義も担当していました。

個人的な一面として、彼はテニスの愛好家であり、特に若い頃はアマチュア大会にも出場するほどの腕前だったと言われています。余暇には読書や散歩、旅行を楽しむことを好み、特にラテンアメリカ文学とヨーロッパの古典哲学書を愛読しているそうです。また、興味深いことに、シカゴ南部というホワイトソックスファンが多い地域の出身でありながら、シカゴ・カブスの熱烈なファンであることも知られています。米メディアからは、逆風の中でもカブスファンであり続けたことを「信念の人」と称賛されています。

また、友人たちからは「ボブ」と呼ばれることが多く、形式に囚われない親しみやすい人柄も、多くの人々から支持される理由の一つとなっています。同僚の聖職者たちからは、ユーモアのセンスと謙虚さを併せ持つ人物として評価されています。

教皇としての哲学と姿勢:対話と包摂の精神

自分の王国に座す小さな王子であってはならない

- レオ14世、就任演説にて

就任時のメッセージと基本理念

プレボスト教皇は、選出直後の最初の演説で、「自分の王国に座す小さな王子であってはならない」と語り、「共に苦しむ教会人」としての哲学を鮮明に打ち出しました。サンピエトロ大聖堂のバルコニーから群衆に向けて発した就任直後の言葉は、「すべての人々に平和があるように!(Pax vobis omnibus!)」でした。

この言葉は、彼がペルーで出会った難民や貧困層、環境活動家たちへの共感から生まれた"実感の言葉"であり、「教会が上にあるのではなく、人々と地続きである」という信念が込められています。この理念は、前教皇フランシスコが掲げた「貧しい人々のための教会」という方針を継承するものでもあります。

就任後の最初のミサでは、「教会は権力の中心ではなく、奉仕の場である」と強調し、教皇としての自身の役割を「羊飼いではなく、共に歩む巡礼者」と位置づけました。このような謙遜の姿勢は、バチカン内外から高い評価を受けています。

教義と改革のバランス

彼は教義と改革のどちらか一方に偏るのではなく、教義の尊重と時代に即した対話の両立を重視する中道的な姿勢をとっています。改革派の代表ではなく、かといって旧来の教義を絶対視する保守主義者でもないという、バランスの取れた立場が、多様な意見を持つ枢機卿たちの支持を集めました。

教会の方針については、前教皇の意向に沿う形で、より包摂的かつグローバルな教会の強化を目指すと見られています。しかし、その手法は穏健で段階的なものになると予想されており、急進的な改革というよりは、丁寧な対話を通じた変革を重視する姿勢が伺えます。

彼は、世界中の司教が参加する「シノドス(代表司教会議)」に対する支持や、地域ごとの意見を尊重する姿勢が評価されています。たとえば、同性カップルの「祝福」については、アフリカ諸国の保守的な司教たちが否定的な立場をとることに理解を示しつつ、全体での議論を促すという"中道的"な立ち位置を取っています。

選出の背景と歴史的意義:変わりゆくカトリック世界の象徴

アメリカ出身教皇誕生の障壁と突破

これまで約2000年の教皇の歴史において、アメリカ出身者がローマ教皇に選ばれることはありませんでした。伝統的に、米国出身者の教皇選出には、歴史的に慎重な姿勢が続いていました。「米国=政治と宗教の分離が強く、世界教会のバランスに欠ける」という懸念があったためです。また、アメリカが世界的な政治・経済・軍事大国であるため、米国出身の教皇が選ばれることで、カトリック教会がアメリカの影響下に置かれるという懸念も根強くありました。

しかし、プレボスト氏はむしろ"米国的でない"人物であり、ペルーを中心とした布教、貧困地域との対話、制度改革における実務経験など、そのすべてが「世界カトリック」の象徴にふさわしいと評価されました。米国で生まれ育ちながらも、キャリアの大半をラテンアメリカで過ごし、「南半球の視点」を持つ彼の独特な経歴が、今回の選出につながりました。

彼の選出の鍵となったのは、南米での歩みで培われた「現場感」とバチカンでの経験による「制度理解」のバランスです。長年の地道な国際活動、教皇フランシスコと通じる改革志向、司教省長官としての実務能力と制度理解が選出の要因として挙げられています。また、穏健な性分と対話を重視する姿勢も、様々な立場の枢機卿たちから支持を集める要因となりました。

グローバル・カトリックへの転換点

彼の選出は、2005年のベネディクト16世以降続く、ヨーロッパ圏外からの教皇選出の流れを継続するものです。ポーランド出身のヨハネ・パウロ2世(1978-2005)が東欧出身として画期的だった後、ドイツ出身のベネディクト16世(2005-2013)を経て、アルゼンチン出身のフランシスコ教皇(2013-2025)が選ばれたことで、カトリック教会のグローバル化が進展していました。

そして今回、アメリカ出身のレオ14世が選ばれたことは、カトリックの「重心」が確実に地理的に移っていることを意味しています。2020年代以降、カトリック信者の中心は欧州ではなく、ラテンアメリカ・アフリカ・アジアに移りつつあります。現在、世界のカトリック信者約13億人のうち、約40%がラテンアメリカに、16%がアフリカに、12%がアジアに住んでおり、欧州の信者は全体の23%に過ぎません。

プレボスト氏の選出は、その現実に向き合うために必要だった「どこから来たか」より「どう向き合うか」という問いに対する実践的な"答え"と受け止められています。彼はアメリカ人でありながら、南半球の視点を持つという稀有な存在であり、その二面性がグローバル化するカトリック世界の象徴として適していたのです。

多中心的教会への進化

バチカン政治学に詳しいマルコ・ポリティ氏は、「教皇制度は今、大きな転換点を迎えている」と分析しています。プレボスト氏のような「現場と制度をまたぐ指導者」が登場することで、バチカンはより"多中心的"な共同体へと進化することが期待されています。

教皇の役割も変化しつつあります。世界は教皇という存在に絶対性やカリスマではなく、静かに隣に立ち、声なき者の苦しみに耳を傾ける"人"であることを求めており、彼はその条件を備えていたから選ばれた、と評されています。

また、改革派と保守派の間でバランスを取る人物として、教会内の多様な声を包容できる人物と評価されています。彼のリーダーシップの下で、カトリック教会がより開かれた対話の場となることが期待されており、これは現代社会における宗教の役割の再定義にもつながる可能性を秘めています。

注目の側面:政治、スポーツ、そして文化的影響

トランプ政権との関係

トランプ米大統領は、史上初のアメリカ出身教皇の誕生に祝意を表明し、「なんて興奮、なんて名誉なのだろう」と述べています。トランプ大統領は自身のSNSプラットフォーム「Truth Social」で、「アメリカの誇りだ。私たちの国にとって素晴らしい瞬間だ」と投稿し、国民的な祝福ムードを盛り上げました。

一方で、プレボスト教皇がLGBTQや移民に寄り添う姿勢を見せていたフランシスコ前教皇に近いとされるのに対し、トランプ氏は連邦政府の「DEI(多様性、公正性、包括性)プログラム」を撤回するなど移民に厳しい姿勢を貫いています。この対照的な姿勢は、今後の米国の政教関係に影響を与える可能性があります。

トランプ氏の支持者の中には、多様性に反発する保守的な米国のカトリック教徒も多く、今後のトランプ氏と新教皇の関係に注目が集まると同時に、反移民政策を強行するトランプ政権に対するバチカン側からのメッセージにもなり得ると見られています。政治アナリストのマイケル・ウォーレン氏は「新教皇の誕生は、トランプ政権にとって無視できない道徳的権威の出現を意味する」と分析しています。

特に移民問題については、プレボスト教皇が、「イエス・キリスト自身が難民であったことを忘れてはならない」と述べ、移民を排除する政策に批判的な立場を示していることから、今後米政権との間で緊張関係が生じる可能性も指摘されています。

スポーツとの意外な接点

また、プレボスト氏が熱狂的なシカゴ・カブスファンであることはSNS上でも話題となっており、「カブスにとって縁起が良い年になりそう」「始球式に呼ぶべき!」といったコメントが見られます。カブスの公式Twitterアカウントも「バチカンシティからの祝福をいただき光栄です」と反応し、話題を呼んでいます。

特に注目されているのは、カブスの元選手イヴァン・"スウィート・スウィング"・デ・ヘススとのエピソードです。プレボスト教皇が若い頃、デ・ヘススのファンだったことが知られており、SNS上では「スウィート・スウィング」と「スウィート・ポープ」を掛け合わせた「スウィート・ポンティフ」というニックネームも登場しています。これは、スポーツと宗教が意外な形で交差する現象として、文化人類学者からも注目されています。

シカゴ・トリビューン紙は「カブスファンが教皇に」という見出しで特集を組み、プレボスト教皇の少年時代にリグレー・フィールドで過ごした思い出や、司祭になった後もカブスの試合を欠かさず見ていたエピソードを紹介しています。「信仰と忍耐の象徴としてのカブス」という分析も興味深く、「108年間優勝から遠ざかっても信じ続けたカブスファンの忍耐は、プレボスト教皇の信仰に通じるものがある」といった論評も見られます。

多文化主義の象徴として

プレボスト教皇の誕生は、多文化主義の象徴としても大きな意味を持っています。アメリカとペルーの二重国籍を持ち、6カ国語を操る国際人としての彼の経歴は、グローバル化する現代社会において、文化的多様性がいかに重要であるかを示しています。

また、彼の選出は、特にラテンアメリカのカトリック信者にとって大きな励みとなっています。ペルーの大統領は「私たちの国の精神的指導者が世界のカトリック教会の頂点に立ったことは、ペルー人として誇りに思う」と述べ、チクラヨとトルヒーヨでは祝賀パレードが自然発生的に行われました。

多くの分析家は、プレボスト教皇の選出が、南北アメリカ大陸の連帯強化につながる可能性を指摘しています。北米と南米の架け橋となる彼の存在は、長年にわたって分断されてきた「二つのアメリカ」の関係改善にも寄与する可能性があります。

今後の展望:「行動する教会」の時代へ

直面する課題と優先事項

アメリカ初の教皇として、そしてグローバル社会におけるカトリックの顔として、レオ14世の今後の歩みには世界中が注目しています。国際問題、気候変動、社会的格差など、教会の前に立ちはだかる課題は山積みです。

教皇として最初に取り組むべき課題としては、以下のようなものが挙げられています:


教会内の性的虐待問題への対応強化:前教皇フランシスコが始めた対策をさらに推し進め、被害者救済と再発防止のための制度改革が求められています。

シノダリティ(共同性)のさらなる促進:地域ごとの多様性を尊重しつつ、教会全体としての一体性を保つための対話の仕組みづくりが重要視されています。

環境問題への実践的アプローチ:「ラウダート・シ(Laudato Si')」などの教皇文書で示された環境保護の理念を、具体的な教会活動として実行に移すための指針作りが期待されています。

若者の信仰離れへの対応:特に欧米諸国で進む若者の信仰離れに対し、デジタル時代に合わせた新しい宣教のあり方を模索する必要があります。

政治的分断への架け橋:世界的な政治的二極化の中で、対話と和解の精神を示し、分断を超える存在としての教会の役割が求められています。
新しいリーダーシップのスタイル

プレボスト教皇のリーダーシップスタイルについては、「聴く教皇」「対話の教皇」としての姿勢が期待されています。就任後最初の数ヶ月間は、世界各地の教会指導者や信者との対話に重点を置き、現場の声を直接聞くための「リスニングツアー」を計画していると伝えられています。

また、デジタル時代に適応した新しいコミュニケーション戦略も採用される見込みです。プレボスト教皇は、前任者に比べてSNSやデジタルメディアへの理解が深いとされており、特に若い世代へのアプローチに新たな手法を取り入れる可能性があります。

さらに、バチカン内部の改革も継続される見通しです。前教皇フランシスコが始めた財政改革や行政の効率化をさらに進め、よりシンプルで透明性の高い教会運営を目指すと予想されています。

世界への影響力

信仰を貫き、柔軟な対応力を持つプレボスト教皇であれば、新しい風をバチカンに吹き込んでくれると期待が寄せられています。特に、世界的な危機や分断の時代において、「対話と和解の使者」としての役割が期待されています。

国連などの国際機関との協力も強化されると見られており、気候変動対策や難民支援、平和構築などの分野で、バチカンの存在感がさらに高まる可能性があります。また、異なる宗教間の対話も促進され、宗教間の理解と協力が深まることが期待されています。

今後の焦点は、環境問題や社会的包摂など、"行動する教会"の構築が問われることになります。プレボスト教皇の言葉通り、「言葉の時代を超えて行動の時代へ」と移行する教会の姿が、21世紀のカトリシズムの新たな方向性を示すことになるでしょう。

おわりに:新たな時代の幕開け

レオ14世の就任は、カトリック教会にとって新たな章の始まりを意味しています。アメリカとペルーというまったく異なる二つの世界を体験し、グローバルな視点を持つプレボスト教皇の存在は、多様化する現代社会における宗教の役割を再定義する可能性を秘めています。

伝統を尊重しつつも時代の変化に適応し、教義の中核を守りながらも包摂と対話を重視する彼の姿勢は、「普遍的」を意味するカトリック教会の本質を体現するものと言えるでしょう。

世界13億人のカトリック信者、そして信仰を超えて人類の未来に関心を持つすべての人々にとって、レオ14世の教皇就任は、希望と可能性に満ちた新たな時代の幕開けとなるでしょう。私たちはこれから、彼の導きによって、カトリック教会がどのような変革と成長を遂げていくのか、その歴史的な歩みを見守っていきたいと思います。

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